訪問看護ステーショングリーン行動規範‐終わりを思い描く
さて、本日も私なりの見解で7つの習慣を説明していこうと思います。
本日は第2の習慣について
第2の習慣:終わりを思い描くことから始める
第2の習慣のタイトルを目にすると多くの人が一様に
ゴール(終わり)を定める(描く)事かな?と察します。
長い人生では、いくつものゴールが存在し
・学生時代の活動
・学業の達成
・趣味の大成
・希望の仕事に就く事
・想いを寄せる人と家庭を築く事
・家族を幸せにすること
…枚挙にいとまがありません。
それぞれのライフステージにおいて人はこれらに対して目標を持って挑むと思います。
間違ってはいないのですが、7つの習慣が示す「終わりを思い描く」はもう少し広範囲です。
終わりを思い描く
”人生におけるすべての行動を測る尺度、基準として、自分の人生を思い描き
それを念頭に置いて今日という1日を始める事”完訳7つの習慣 P155
なぜ、終わりを思い描くことが必要なのか?
自分自身が辿り着きたい場所が明確になっていないと、人生の様々な岐路において知らずしらずのうちに誤った選択をしてしまいます。
さきほど列挙した短期的なゴールもひっくるめて
人生における全ての選択の指針となる価値観を明確にする事
で自身のゴールを明確にし、その価値観に従い、日々の選択、更には人生の岐路となる選択が
自身の思い描いていた結末に向けた行動として成立するようになります
ブルーロックの主人公が尊敬する選手から投げかけられた言葉も同様でした
達成困難な課題に向き合った際、振り返るべきは
自身の行動が本当に価値観に準じていたのかという事なんですね
では、この価値観を明確にしないままでいるとどうなるのか?
はたまた他人に与えられた価値観を行動指針に据えるとどうなるのか?
前述したように、人生には多くの岐路が存在します。
自分が本当に大切にしたいものを認識しないまま、一生懸命目の前の出来事に対処しても
価値観と行動が結びついていないため思い描く終わりに辿り着く事は困難となります。
しかし、その責任は間違いなくあなた自身にあるのです
では、恒例となりました
ブルーロック第一話の冒頭のシーンがこの習慣の説明に丁度よいです
舞台は、インターハイ出場をかけた地区予選の決勝
主人公は周囲の価値観に従い
重要な選択の場面において
自身がどうしたいのか?に向き合っていませんでした
周囲の影響下で、行動の指針となる価値観は
「サッカーは11人でやるスポーツだ」
というパラダイムでした
しかし、最終的に試合に負け
「点を取れなかった」という結果が残ります
このように、他者が中心にある脚本で大事な決断をして後悔したり
いつの間にか、他者があなた脚本の主役に居座ってしまう事があります。
もし、誰かに言われた事、誰かにやらされている事が脚本の主題になってしまっているのであれば、自身の価値観と一致する脚本に書き直さなければなりません
「そんな事言われても、人生もう半分過ぎたしな…」
と考える方もいると思いますが
人生の脚本はいつでも書き換える事ができます
自分自身の価値観を変えるのに、他人の許可はいりません
しかし、そのためには第1の習慣である主体性(自覚)を発揮する事が重要である。
脚本を書き直す
”自覚を育てていくと、多くの人は自分が手にしている脚本の欠点に気付く。
第2の習慣が教えるのは、そのような脚本を持ち続ける必要はないということだ”完訳7つの習慣 P169
少し言葉足らずな説明となりましたが、詳しくは「7つの習慣」
・刺激と反応の間
・内面の中心にあるもの
を是非、お読みください
さて、舞台は変わり
この物語におけるコーチ役が
集めた、サッカー選手達に語りかけます
「ワールドカップ決勝の舞台」
サッカーを人生の糧にしていこうとしている
主人公達にとって
まさに終わりを思い描くに相応しい設定
ここで大きな選択を例示します
チームとして確実な勝ちを選ぶのか
自身のエゴに従うのか
この問いでコーチが示したのは
自分達がどうなりたいのか?
という価値観に対する自覚の促し
そして
主人公は突き動かされます
ここで注目すべきはセリフです
「ストライカーになりたい」
ではコーチに感化されただけです
「俺はストライカーだ」
この言葉こそ、主人公が自身の中心にある価値観を自覚し
自らパラダイムを書き換えた証なんですね
以降、この物語において
「世界一のストライカーになる」という価値観を軸に進展していきます
インターハイ優勝やワールドカップ優勝ですら
価値観の表現手段に過ぎないと言わんばかりですね
さて、長くなってしまったので続きはまた後日
ここまでお読み頂きありがとうございました。
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